松坂慶子の旦那はギタリストの高内春彦、この結婚までに「略奪婚」の言葉を生んだ松坂慶子の壮絶不倫!

松阪慶子さんは
1973年NHK大河ドラマ「国盗り物語」で
濃姫を演じて一流女優となり

1978年の映画「事件」
翌1979年の映画「配達されない三通の手紙」
でトップ女優に躍り出ました。

その年放送のTBS系ドラマ「水中花」に主演し
その主題歌「愛の水中花」
で大ヒットします。

そこからCMでも売れっ子になり、
NHK大河ドラマには
最初の「国盗り物語」以降9回で
最多出演女優になっています。


(同率でならんでいた
草笛光子さんが鎌倉殿の13人に出演し、
2番目になっています)

松阪慶子さんは、
1991年に高内春彦さんと結婚しますが

当時、人気女優と無名に近く
収入の少ない高内
春彦さんとの結婚は

「格差婚」と評判になります。

今回はこの松坂慶子さんの結婚
についてリサーチしました。

松坂慶子の旦那は高内春彦

松坂慶子さんは1991年1月、
ニューヨークで
ギタリストの高内晴彦さんと結婚します。


大物女優の突然の結婚で、
同年1月17日松坂慶子さんの

結婚報告記者会見には
200人を超す報道陣が集まりました。

そこで松坂慶子さんは、
このように語っています。

夫となった高内春彦さんについて、
「一時は結婚ために
女優をやめちゃおうかと思ったくらい。

とにかく一緒の時間を大切にしたい。
2週間以上離れて

生活することのないように
しようと約束しています」


高内春彦さんは1954年生まれ、
宇都宮市出身、

東京造形大学美術科卒業、
15歳からギターを始め

18歳の時渡辺香津美氏に師事、
1980年ニューヨークに渡り
自己バンドを結成し、

84年にニューヨークで
デビューしました。


90年~91年のNHK/BBCの
「銀河宇宙オデッセイ」の音楽

を担当プロデューサーとしても
活動しています。

 

松坂慶子と旦那(高内春彦)との
馴れ初めは?そして結婚!

1990年4月、
松坂慶子さんは
「フランス・カンヌ映画祭」の帰り、

次に映画の役作りを兼ねて
ニューヨークを訪れます。


知人の紹介で、
高内春彦さんにウオール街を

案内してもらった、
これがおふたりの出会いでした。


当時高内春彦さんは、
ニューヨークに在住し、

ニューヨークのなだたる
ミュージシャンとギタリストとして

セッションやワークショップ
をしていました。


この案内をしてもらって松坂慶子さんは
高内春彦さんが頼もしく見えて、
結婚を意識したということです。


これは編集者の想像ですが、
日本国内にいて
新宿や銀座を案内されるのと違い、

いわば憧れの地で
かつ次作の舞台になるニューヨークで

優しく親切に接待されれば、
感情はまったく
異なるだろうと思います。


ただその感情が一時的なものではなく
その後壮絶な親子断絶にまで発展しても

醒めることなく続くことに松阪慶子さんの
心意気が強く感じられて清々しいですね。

 

松坂慶子は親の反対を押し切り
結婚します!

1991年に
松坂慶子さんは電撃結婚しますが、
いきなり大逆風が吹きつけます。


当時松坂慶子さんは
女優の中の女優という超大物女優、

片やまったくの無名、
収入も少ないアーティストのはしくれ、

おまけに外見はひげを生やし
小太りの体型。


世間ではすぐに「究極の格差婚」
という言葉と評価が定着します。

特に際立ったのが、
松坂慶子さんの両親、

父親の英明さん、母親、つね子さんの
猛烈な大反対でした。


両親はマスコミに「娘が結婚した相手は、
収入もないのに
亭主面してゴロゴロしてるだけ」

「慶子に寄生して
のうのうと生きている、

あの男は娘を利用してるだけ」
と罵倒しつづけたのです。


さらに
松坂慶子さんの夫を

痛烈批判した暴露本を
出版する騒動になります。

さらに「あんなヒモみたいな男
をかばう娘も許さん」

これだけの罵詈雑言と断絶の後
松坂慶子さんと夫の高内春彦さんは
世間でも驚くような行動に出ます。


それを次のブロックで。

 

松坂慶子と旦那の夫婦エピソード

 

松坂慶子さん夫婦と
壮絶な確執を続けた父親は
2007年に死亡、

以後身体が弱った母親に
松坂慶子さん高内春彦さん夫妻は
ふたりの子どとともに実感に戻ります。


あれだけの反対と
罵りを考えると
とても同居など考えられないところですが、

実娘の松阪慶子さんはともかく、
高内春彦さんは根が優しい、
人を怨まない人柄なのだと実感します。

伴侶に選んだ
松坂慶子さんも
ただものではないということですね。

後にインタビューに答えた松坂慶子さん。

「彼は優しい、というか寛大ですね。

ぼおっとしてるようで
全体のことをよく見てるんだと、
最近やっと気がつきました(笑)。

最初ころは何時間かかっても
私がごはん作るのを待っているような
人だったけれど、

子供が生まれてからは
自分で作るようになって、
パパッと手早くて美味しいんです。

今は朝ごはんをおねがいしています」

「母にプリンやゼリーを
買ってきてくれて、
楽しそうに話しています」


松坂慶子さんはただ大女優だけでなく、
人を見る目も確かということですね

 

恋多き女優松坂慶子、
元カレ等との壮絶不倫

 

多くの元カレ噂のある松坂慶子さんですが、
今でも強く印象に残り

「略奪愛」の言葉が生まれた
壮絶なふたつの不倫愛を見てみます。

その① 小坂一也さん

小坂一也さんは
人気のウエスタン歌手で、

松坂慶子さんとは1974年のドラマ
「阿蘇の女」で共演します。


小坂一也さんは
十数年連れ添ってきた女優十朱幸代さんと

その年の正月に
結婚式を挙げばかりだったのです。


その小坂一也さんが
家を出て松坂慶子さんと同居をはじめます。


週刊誌が「略奪愛」の言葉を使って報道し、
松阪慶子さんに
世間から悪女の非難が殺到します。


すると松坂慶子さんの父親が
「付き合いをやめるか、
親子の縁を切って結婚するか、

どちらでもなかったら死ね」
と常軌を逸した怒りを発します。


悩みぬいた松坂慶子さんは
「小坂さんとは別れます、結婚しません」
と決断します。

約1年ふたりが住んだ
マンションを引きはらって
京都へ行きます。


これだけの大不倫をした松坂慶子さんは
そのほぼ6年後また世紀の不倫愛に溺れます。

それが次ブロック。

 

その②深作欣二監督

松坂慶子さんは、1981年、
蔵原惟繕&深作欣二監督作品

「青春の門」
出演したのを皮切りに、

「道頓堀川」

「蒲田行進曲」

「人生劇場」

「里見八犬伝」(声の出演)

「上海バンスキング」

「火宅の人」

「華の乱」

と、次々と深作欣二監督の作品に
出演していきます。

その2作目1982年、
映画「道頓堀川」の撮影の頃から、
ふたりは熱愛状態になります。

発端には
今も伝わるエピソードがあります。

この「道頓堀川」では
深作欣二監督に東映から引き抜かれた

真田広之さんと松竹の看板女優の
松坂慶子さんが共演する、

そこで松坂慶子さんは
深作監督と真田さんの仲を取り持とうと
していたところ、

はじめからふたりむつまじく、
松坂慶子さんは
「ハネ」にされたみたいで、

松坂慶子さんが拗ねてしまった、
それでスタッフがホテルの部屋を2部屋とって、
深作監督によく話すよう頼んだのだと言います。

そこでふたりは男女の関係に
なってしまったと、


以来、二人の関係は、
業界では公然の秘密となり、
不倫関係は長く続きます。


この不倫熱愛は長く続きますが、
交際中の費用は
すべて松坂慶子さん持ち、


さらに深作欣二さんの
息子の入院費用まで
松坂慶子さんが支払ったとか、

これに激怒した
松坂慶子さんの父親が

「娘はあの監督にボロボロにされた」
といったということです。


そして松坂慶子さんは
上に書いた高内春彦さんと1990年に結婚、

以来32年間理想の夫婦として
円満な家庭を築いています。


大女優の恋愛は
常人の及びもつかない
スケールの大きさです、

そして今
それが少しもマイナスになっていない、

2009年には紫綬褒章を受章、
「女優・松坂慶子」

不世出の女優
ということになりますね。

 

まとめ

 

松阪慶子さんの壮絶結婚と
その前の大不倫について次のタイトルで
リサーチしました。

松坂慶子の旦那は高内春彦

松坂慶子と旦那(高内春彦)との
馴れ初めは?そして結婚!

松坂慶子と旦那の夫婦エピソード
「両親との確執と旦那の愛」

恋多き女優松坂慶子、
元カレ等との壮絶不倫

その①小坂一也
その②深作欣二監督

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

 

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